3.11東日本大震災から6年~あの日の記憶~

東日本大震災、あの日から6年

気づけばもう6年もたっているのか。
そう思う人は多いのではないだろうか?

しかし、実際に被災した人々の記憶には未だに生々しい映像や音が焼きついている。
テレビ番組等のメディアに取り上げられるのは、今日のように「何年経った3月11日」だけ。今もラジオであのときの話をしている。
人々の記憶から完全に消えてしまうよりはマシだが、やはり当事者とそれ以外の人には感覚に大きな違いがあることは否めない。

当時私は、宮城県の松島にいた。
そして、その日も普通に仕事をしていた。
普段となんら変わらない職場風景。
もう少しで1週間の仕事が終わるという金曜日のあの時間。
天気が悪いからおそらく今日の仕事はもう終わりだろう。
そう思っていた矢先、大きな地震が起きた。

私は、建物を出た。
職場の上司、同期、同僚は机の下に隠れていた。

私が見たのは近くに止まっていた消防車がありえないくらいに前後に揺れていた光景。
電線が大きく揺れている光景。
浄水所の上部から水しぶき。

とにかく長いゆれだなぁと思っていた。

揺れが収まると、室内から上司が私の名前を呼んでいた。同期も呼んでいた。
もちろん私は無事だったが、お互いにかなり驚いた顔で見合わせた。

それからまもなく、職場内の放送である建物の屋上に避難せよという命令が発せられ、私たちはその建物に走った。
津波が来るという情報も得た。
そのため、何の荷物を持つことも無く、とにかく走って屋上までのぼった。もちろん携帯も何もかも置き去りで上がった。

職場の多くの人間がその屋上に集まる。
雪が強く振っていたため、かなり寒かったという記憶。

ちょっとしてから
「10mの津波が来る。」
という情報を得た。

そして、そのとき上った建物は2階建て。
3階建ての建物に避難しなおせという命令。

津波がくるかもと思いながら、一度地上に降りて、また違う建物まで走った。

まだ、津波が来ることに対して半信半疑だったが、やっぱり少し恐怖心があったと思う。

そして、3階建ての建物の屋上に到着して、まもなく・・・

津波がきた。

広い敷地の向こう側の林から、水が押し寄せてきた。
そんな光景見たことがないので、少し見とれてしまった。
その波は、いつも使っている滑走路を越えて、いろんな建物の隙間を縫って、いろんな車や装備を飲み込みながら、もちろん戦闘機も押し流していった。

そんな中、たくさんの怒鳴り声が、

職場の人間はみんな建物の屋上に避難していて安全だったが、そこから見える基地の外の人は津波が近づいていることを知らずに、道路を歩いている。

「逃げろー!!!津波がきたぞ!!」

そう叫んでいる人たちの怒鳴り声を今でも覚えている。

それから一気に水位があがり、あっというまに地上は水浸しなった。

それが津波が来た瞬間の記憶。

その後、私は数週間その被災地で(自分も被災者だが)災害派遣に出た。
記録に残すために写真を撮るという任務もこなしながら、復興に向けて動いた。

当時は街が元通りになることなど、想像もできなかった。
それほどひどい状況だった。

私たちは、数週間後青森に移動し訓練を再開した。

いろいろ割愛したが、あれから6年もたったのかと思う。
普段生活しているときは記憶の奥の奥だが、ふと思い出すこともある。

東日本大震災。
私にとっては長い人生の中のとても貴重な経験だったと思う。

この震災でなくなった方々のご冥福をお祈りいたします。